~このコーナーでは言葉や文化の違いをテーマとして世界で起こっている興味深いニュース 記事をピックアップしていきます。~
Mother Gooseの世界 そのきゅう マザーグースとミステリー『そして誰もいなくなった』
今回はマザーグースの数え唄からとりあげてみたいと思います。
「ワンリトゥル、トゥーリトゥル、スリーリトゥルインディアンズ・・・」といえば皆さんも口ずさめるほど馴染みがありますね。これは1868年にアメリカ人セプティマス・ウィナーによって作られた『Ten little Injuns standing in a line』という数え唄です。ちなみに”Injuns”はAmerican Indiansの口語的表現だそうです。
翌1869年、この唄の二番煎じとも言える唄がフランク・グリーンというイギリス人によって作られ大人気となりました。この唄はいわゆる逆さ数え唄とも言われ数が順番に減っていくのが特徴ですが、人気があったためか本場イギリスで作られたためか、マザーグースにはこちらの唄が採用されています。伝承童謡のマザーグースの中では珍しい作者が確認されている唄です。
『Ten Little Nigger Boys Went To Dine』というタイトルのこの唄は、10人の黒人の少年が一人ずつ減っていき最後に誰もいなくなったという内容になっています。差別的な言葉が使われていることから現在では『Ten Little Indians Boys Went To Dine』として紹介されているようです。
最後の行で「誰もいなくなった」、”And then there were none.”となるのですが、これはどこかで聞いたことはありませんか?
そうです、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』ですね。
アガサ・クリスティはこの唄をモチーフに『Ten Little Niggers』を1939年に書きました。マザーグースを最も上手く利用したミステリーと言われています。やはり差別的な言葉が問題となり後に『And Then There Were None』というタイトルに変えられています。
内容は、U・N・オーエンと名乗る男の招待を受けてインディアン島という孤島にやってきた10人の男女がひとりずつ順番に殺されていき、最後には誰もいなくなってしまうというものですが、一人ずつ殺されて残された者の数が減っていく様子がマザーグースの唄と平行しながら描かれ一種独特の不気味な雰囲気をかもし出しています。唄のとおりに進む次々と一人ずつ確実に消されていくという恐怖感が次は自分の番かと恐れる生き残った者に、そして読んでいる我々にも襲ってくるミステリーサスペンスの秀作です。
では、ここでマザーグースの唄に対してアガサ・クリスティの小説がどのように呼応して描かれているかご紹介します。左がマザーグース、右がアガサ・クリスティの小説での描かれ方です。
Ten little nigger boys went out to dine; One choked his little self, and then there were nine. 10人の黒人の少年が食事に出かけた 1人がのどを詰まらせたので 9人になってしまった |
→食後の酒を飲んでいるときアンソニー・マースンという遊び好きな青年が青酸カリで毒殺
|
Nine little nigger boys sat up very late; One overslept himself, and then there were eight. 9人の黒人の少年が夜更かしした 1人が寝すごしたので 8人になってしまった |
|
Eight little nigger boys traveling in Devon; One said he’d stay there, and then there were seven. 8人の黒人の少年がデボンを旅行した 1人がそこに残ると言ったので 7人になってしまった |
→昼食時になっても戻ってこないマッカーサー将軍を探しに行くと後頭部を殴られて死んでいた
|
Seven little nigger boys chopping up sticks; One chopped himself in half, and then there were six. 7人の黒人の少年が薪を割っていた 1人が自分を真っ二つに割ったので 6人になってしまった |
→召使いのロジャースが薪を割っているとき大斧で殺される
|
Six little nigger boys playing with a hive; A bumble-bee stung one; and then there were five. 6人の黒人の少年がハチの巣をいじくっていた 1人がマルハナバチに刺されたので 5人になってしまった |
→老婦人エミリー・ブレントが毒薬を注射されて殺される。そのとき窓ガラスに蜂がとまっていた。
|
Five little nigger boys going in for law; One got in chancery, and then there were four. 5人の黒人の少年が法律を勉強していた 1人が裁判官になったので 4人になってしまった |
→ウォーグレイブ元判事がシンクのカーテンをまとい、灰色の毛糸をかつらのようにかぶった姿で頭を撃ち抜かれて殺される。
|
Four little nigger boys going out to sea; A red herring swallowed one, and then there were three. 4人の黒人の少年が海へ出かけた 1人が赤いニシンに呑み込まれたので 3人になってしまった |
→アームストロング医師が海で溺死
|
Three little nigger boys walking in the Zoo; A big bear hugged one, and then there were two. 3人の黒人の少年が動物園を歩いていた 1人が大きな熊に抱きしめられたので 2人になってしまった |
→ブロア元警部が熊の形をした大理石の時計に頭をつぶされて殺される。
|
Two little nigger boys sitting in the sun; One got all frizzled up, and then there was one. 2人の黒人の少年が日なたに座っていた 1人が日にジュージュー焼かれたので 1人になってしまった |
|
One little nigger boy living all alone; He got married, and then there were none. 1人の黒人の少年がたった1人で暮らしていた 彼が結婚してしまったので 誰もいなくなってしまった |
→ひとりになったクレイソン嬢が自室に戻ると自殺の用意がされている。とりつかれたかのように首を輪の中に入れ椅子を蹴るシーンで終わる。
|
結局最後はひとりになってしまったクレイソン嬢が部屋に用意されていた縄に首をかけ椅子を蹴る様子が描かれたところで終わるのですが、自殺なのか他殺なのか種明かしのないままで終わっています。
食堂に置かれたガラステーブルの上に置かれていた10体の陶器のインディアン人形が殺人が起こるたびに一体ずつ減っていったのですが、そうした演出もいっそう恐怖感を盛り上げクライマックスへと導いていきました。
アガサ・クリスティは最後の一節をこのように変えて
います。
一人のインディアンの少年が、
あとにたっとひとりで残っていた。
彼が首をくくってしまい、
そして誰もいなくなった。
マザーグースという伝承童謡を巧みに作中で使った名作と言えます。
さて、全部で10節ある唄のそれぞれ最後の行は”and then there were 〜”、「そこで○人になりました」で終わっています。
これは英語圏ではとてもよく利用され、とりわけ新聞雑誌の見出しには欠かせない表現の一つとなっているようです。スポーツ競技や政界など並び立っているライバルの一方が倒れたときに「そこで一人になりました」というよな使われ方が常套のようです。
環境汚染によってある生物が絶滅したことが報道された際も「そこでゼロになりました」と記事に見出しがついていたこともあるそうです。
英語圏の人であればこの見出しを見ただけでこのマザーグースの唄を想起し、合わせてアガサ・クリスティのミステリーも連想し、ひたひたと迫ってくる運命のようなものを自然と感じとっているのです。文化・風土と密接に関係した言葉の感じ方で、これは異なる文化・風土で育った私たちにはなかなか得られない感覚ですね。もちろん立場を逆にすれば同じことが言えるわけですが。
小説などでもこの唄からの引用が使われています。
“Like the ten little niggers, Pennington’s potentially awkward associates were being rubbed out at a satisfactory rate.”
(The Curious Affair of the Third Dog by Patricia Moyes)
ペニントンの気の許せなくなりそうな仲間が、10人の黒人の少年の唄のように、申し分のないペースで次から次へと消されていったんだ
“One went to Heaven, and then there were eleven,” chanted Crosby mor-dantly.
(Slight Morning by Catherine Aird)
「ひとりが天国に行ったので、11人になってしまった」とクロスビーは辛らつにうたった。
何気なく使われていますが、マザーグースから一節を引用するだけで余計な修飾語句を使って説明しなくともその背後にある不気味さ、奥深さを十分に物語らせる効果があるんですね。
さて、いかがでしたか?アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を読んだことがなくてもなんとなく読んだ気になってくれましたら幸いです(笑
筆者もしっかり読んだことはないのですが、まずは映画版でも見てみたくなりました。マザーグースの世界がどんな感じで映像化されているのか興味を惹かれますね。皆さんもまだご覧になってなかったらぜひ。
それでは今回はこの辺でおわりにしたいと思います。
参考文献:映画の中のマザーグース( 鳥山淳子、スクリーンプレイ出版)、映画で学ぶ英語の世界(鳥山淳子、くろしお出版)、マザーグース・コレクション100(藤野紀男・夏目康子、ミネルヴァ書房)、大人になってから読むマザー・グース(加藤恭子、ジョーン・ハーヴェイ、PHP研究所)、マザーグースをたずねて(鷲津名都江、筑摩書房)、英語で読もうMother Goose(平野敬一、筑摩書房)、ファンタジーの大学(ディーエイチシー)、グリム童話より怖いマザーグースって残酷(藤野紀男、二見書房)、マザーグース1(谷川俊太郎・訳、講談社文庫)、マザーグース案内(藤野紀男、大修館書店)、不思議の国のマザーグース(夏目康子、柏書房)、マザーグースの唄(平野敬一、中公新書)、マザー・グースのイギリス(楠本君恵、未知谷)、マザーグース(藤野紀男、河出書房新社)、マザーグースのミステリー(藤野紀男、ミネルヴァ書房)